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ど根性 中岸おさむ土方半生記


ど根性 中岸おさむ土方半生記 改訂版: 中岸おさむ土方半生記 改訂版 (実話物語)
ど根性 中岸おさむ土方半生記 改訂版: 中岸おさむ土方半生記 改訂版 (実話物語)
著者:よしい ふみと
出版社:山の辺書房
発売日:2015-02-10
カテゴリー:Kindle本



●著者コメント


 平成元年、ベストセラー自伝となった話題作をぜひ再販して欲しいという要望にお応えし電子書籍改訂版として出版しました。(児童図書)


 (内容)


  昭和31年、現在は世界遺産の地「熊野本宮」に生まれ、幾度も涙しながら限りなき貧しさに立ち向かった日々。(その様は名作おしんの男版と評された)


  小学6年で真夜中の土方仕事体験。加えて学校での無視、登校拒否。そんな中、中学になっても真夜中の土方は続いた…夜通し土方した朝、母が運んでくれた朝飯の茶粥を、学校の始業時間を気にしながらかきこんだ音無川の河原。暗く寂しい孤独の谷間で主人公を迎えてくれた運命の扉とは……。


  ドラマの背景が高度成長期であるため、団塊の世代の方々にも共感していただけると思います。特に教育現場においても参考になる児童図書です。核家族化、閉塞感漂う現在社会において、人間の原点とは何かを問うものです。ロングセラー自分史。 自分史書き方見本対応です。


●悲しいことに、今の幼児化した現在人は、アダルトやマンガに熱中し、このような自分史物語を読む能力も喪失しかかっている。日本国民として憂いうることだ。心ある一部の先達にでも読んでほしい。そのうえでイメージさえも喪失した人々を導いて欲しいものである。 作者よしいふみと


                 


                   よしいふみと


          山の辺書房かしはら出版編集室発行




  ●この実話小説主人公からのメッセージ
 今、自宅の庭に立つと、眼下に懐かしい思い出が広がる。     
 小学生の頃、母の作った藁草履(わらぞうり)を売りに回った道筋(みちすじ)。中学に通いながら真夜中、じゃり持ちの土方をした国道。徹夜仕事(てつやしごと)の終わった朝、母が運んでくれた朝飯(あさめし)の茶粥を、学校の始業時間を気にしながら夢中でかきこんだ音無川(おとなしがわ)の河原。色んな情景(じょうけい)が後を絶たず脳裏(のうり)に去来(きよらい)する。極貧(ごくひん)の辛(つら)く悲しいこども時代だった。
 今日まで、わたしの歩んだ人生には、いくつもの大きな壁がり、波があった。
 逆境(ぎゃっきょう)に喘(あえ)ぎながら、大地(だいち)の土くれを握りしめ、土と生きる決意をした十代。
結婚し、夢にまで見た独立開業。がむしゃらに土木建設に取り組むなか、突然の病にかかった三十代。病後、一念発起(いちねんほつき)して社会福祉事業に着手した四十代。いくつもの波を乗り越え、走り続けてきた人生。今、それらを回顧するとき、どん底にいても、必ず這(は)い上がることができるんだということを確信(かくしん)している。
 いじめ、無視(むし)、虐待(ぎやくたい)など、心の発達が文明至上主義(しじょうしゅぎ)に逆比例(ぎやくひれい)している現在社会。人間の意識の低下を見るにつけ、人生まんざらでもないんだ、ということを、わたしの人生をさらけ出すことで、一人でも多くの青少年諸君、また、一般の方ゝに知ってもらいたいという思いから一冊の本として世に出すことを決意した。
 そこで、この思いを、紀南新聞社編集長、山本紀一郎氏に相談した。編集長曰(いわ)く、それなら児童図書として出版するのが最良の方法で、この分野で、親しみ易く読み易い書き方をすることで定評の伝記作家「よしいふみと氏」を紹介してくれた。 よしいふみと氏は、戯曲(ぎきよく)の技法も修得(しゆうとく)していて、独自(どくじ)の「イメージ描写法(びようしやほう)」という書き方をする作家で、その執筆方法(しつぴつほうほう)は、情景(じようけい)を映画のように表現するため、読みやすく、大人はもとより、青少年諸君にも容易(ようい)に受け入れられるだろうという。そこで、交渉の末、氏に依頼(いらい)し、[児童図書(じどうとしよ)]というかたちで制作決定した。
 出版後、「児童図書」というのが功を奏(そう)したのか、地域限定(ちいきげんてい)ではあるが、学校図書にもなり、地方大手書店では三週連続ベストセラー一位に選ばれる栄光を得た。
 初版は、平成元年だが、いまだに購読要求(こうどくようきゆう)があり、このたび、よしい氏主宰(しゆさい)の「山の辺書房かしはら出版編集室」から、電子書籍改訂版(でんししよせきかいていばん)として再び出版の運びとなったことは喜びにたえません。
 何度もいいますが、人間『信念をもってやれば出来るんだ』ということを、本書をお読みいただき少しでも〝何か得るもの〟を感じていただければ幸甚です。
 最後に、よしいふみと氏を紹介してくださった紀南新聞社編集長、山本紀一郎氏並びに、長期にわたる克明な取材活動を敢行(かんこう)、執筆してくれたよしい氏に心からお礼を申しあげます。
   平成二十六年 初秋                                   中岸おさむ

 

 

    第一部

むらさきのけむり     
空腹           
吸いがら                    
あらぬ疑い        
母のぞうり        
真夜中のじゃり持ち    
孤独への入り口     
春の闇         
運命の扉        
報われた            
独自のわざ
       

 第二部

大阪の空        
あんこう(立ちん坊)   
人夫頭         
五百円の縁       
独立開業        

主人公、中岸おさむ氏のプロフィール
                                    
  
各界からお寄せ頂いた書評の抜粋(平成元年一月から三月まで紀南新聞掲載)
            
本書内の方言解説    


奥付          


第一部 試読


むらさきのけむり

一      ※(文中、( )の中はルビです。

 夜半(やはん)に雪雲(ゆきぐも)が通ったのか、その朝は辺(あた)り一面うっすらと雪化粧(ゆきげしよう)。すっかり明けた真冬の空はすでに一片(いつぺん)の雲もなく、きれいに晴れ渡っていた。山あいの寒さはことのほかきびしく肌を刺すようだ。
 こんな朝は、いつもきまって風も立たず、太陽が顔を出すまでの、わずかな時間は、草も木も、すべてが息をつめて、なにかを待っているようなけはい。ふしぎに、小鳥たちの鳴き声もない。まるで時が止っているようないっとき。
「もとゑさぁ、きょうは、あんまり、動かんほうがええで……まぁ、だいじょうぶじゃろけど(・・・・・)のお」
 きのうの夕方、急に産気(さんけ)づいた中岸もとゑに一晩中(ひとばんじゆう)つきっきりで、無事産婆(さんば)の大役(たいやく)をはたしたおたつ婆(ぱぁ)は、そういいながら、帰りじたくをして立ち上がった。歳(とし)のわりには、カン高い、張(はり)のある声だ。
「村岡(むらおか)の姉(ねえ)に、いうとくさか(・・・・・・)のぉ」
 おたつ婆(ばあ)は、ふろしき包を脇(わき)に抱え、玄関の戸をいきおいよく開けた。たてつけのわるい板戸(いたど)が、大きな音をたてる。静かな早朝の空気がブルブルふるえた。
 庭に積(つ)もった雪が白く光る。
 村岡とは、もとゑの実家(じつか)のことで、家がおたつ婆の近所だった。
 玄関の戸が開くと、それまで薄暗(うすぐら)かった家(うち)のなかが、雪のせいで明るくなった。
 家の一番奥に、唯一(ゆいいつ)そこだけ戸襖(とぶすま)のはいった、四畳半(よじようはん)のへやがある。いつもは板だけの床(ゆか)に、ゴザが敷(し)かれていた。
 戸襖(とぶすま)がすこし開いて、いま玄関を出ようとするおたつ婆に、声がかかる。
「おおきによ。よっぴと(・・・・)世話してもろて、すまなんだのぉ」
 もとゑは、ふとんのなかから礼をいった。夫の松一(まついち)が、おたつ婆のあとから外に出た。
「まったく、すまなんだよ。お婆のおかげで、うまいこと(・・・・・)生まれて、まっこと(・・・・)よかったよ。おおきによ。あとで礼に行くさかいに(・・・・・・)のお」
 松一は、庭の端(はな)までおたつ婆を送った。強い冷気(れいき)で高くもりあがった霜柱(しもばしら)がガシュガシュと、小気味(こきみ)いい音をたてて足の下でくずれる。
 そのとき、家(うち)のなかから、元気な赤子(あかご)のなき声が起こった。眠っていたのが玄関のもの音で目をさましたのだろう。休みなしに泣きつづける。
「まったく、元気な赤子(あかご)じゃ」
 この在所(ざいしよ)では、たいそう腕のいい産婆(さんば)として、みんなに、たよりにされているおたつ婆(ばあ)は、そういいながら石段につもった雪を草履(ぞうり)のつま先(さき)で、かきおとしながら、ゆっくりおりはじめた。
 中岸家(なかぎしけ)は、村の一番高いところにあった。それで、屋敷(やしき)から眼下(がんか)の熊野川(くまのがわ)沿いの国道まで、石段がついていた。村で一番長く、また、一直線にのびた石段は、たいそう急なものだった。ただでさえ、用心しないと危険なのに、雪が積もっているので、なおさら大変。
「婆(ば)ぁ、気ぃつけてな」
 庭の端(はな)に立って見送りながら、松一が声をかける。
「あゝ、だいじょうぶじゃて。それよか、早(は)よ家(うち)行(い)て、かかあ(・・・)見たれよ」
 おたつ婆が、やっとのこと(・・・・・・)で石段の中ほどまで、おりたとき、にわかにまわりが明るくなり、オレンジ色の光が、真正面(ましようめん)から顔をつつんだ。熊野川をはさんで対岸(たいがん)の、七越峰頂上(しちこしのみねちようじよう)から太陽が顔をだしたのだ。
「おゝ、初日の出じゃ」
 おたつ婆は、柏手(かしわで)をパンパン打って合掌(がつしよう)した。彼女が、初日の出といったのは、ほかでもなく、その日は、新暦(しんれき)の正月、つまり、昭和十三年一月一日の早朝であった。
 中岸おさむは、この一年中で、もっともめでたい日に産声(うぶごえ)をあげた。
 このときすでに、父松一、母もとゑには、長男惇(あつし)、次男司(つかさ)、長女美千代(みちよ)、三男要(かなめ)がいて、おさむは、四男で五番めとして誕生(たんじょう)したのである。

「あんた、ちょっと休んだら……、昨夜(ゆんべ)寝てないやろ」
 出産を終(お)えたばかりのもとゑは、ふとんのなかから、首だけまわして、気(け)だるそうに松一に声をかける。
「おう、お粥(かい)炊いといたら、一服(いつぷく)じゃ。こいつらに、食(く)わさなあかんよって(・・・・・・)な」
 松一は、炊事場(すいじば)の土間(どま)に立って、そこから間仕切(まじきり)なしにつづいている八畳ほどの広さの板の間で、みの虫よろしく、ふとんにくるまっている四人のわが子を、あごでしゃくった。そのあと、湯気(ゆげ)の立つ粥(かゆ)ナベのふたを取って、杓子(しゃくし)をつっこみ二、三回かきまわし、茶袋(ちやぶくろ)をつまんで汁(しる)をしぼった。その手元(てもと)はなれたもの。
 すべてのことに、器用(きよう)な彼は、杓子(しやくし)や箸(はし)、その他なんでも自分で作った。できばえも、職人顔負(かおまけ)の立派なものだ。器用なうえに、こまめな性格で、家事一切(かじいつさい)も、苦にせず楽々やってのける。そういう雑事(ざつじ)が、彼の性(しよう)によく合っていた。
 近所(きんじよ)の人々は、彼のことを〝松一おじ〟と呼んで親しんだ。事実、親しむという表現がぴったりの性格だった。
 人柄(ひとがら)のいいのは天下一品。他人(ひと)のきげんをそこねるなど、まるでなかった。いつも、人のよろこぶのを見て満足しているというタイプ。そのため、だれからも、好意(こうい)をもたれているのだが、ただひとつ欠点は、金もうけに、とんと縁(えん)がないことだ。そのぶん、もとゑは大奮闘(だいふんとう)しなければならない。
 性格がなまくらだ、というわけじゃないが、せっかく仕事に出て、人並(ひとなみ)に金をもらっても、仲間にさそわれると断ることをしらず、つい花札(はなふだ)バクチに手をだし、すってんてんになるのが常なのだ。
 人に、仕事をたのまれると「いや」といえない性格。悪い因縁(いんねん)は積(つ)まないが、彼を唯一頼(ゆいいつたよ)りとしている家族、とりわけ、もとゑは、それこそ死ぬ思いでこどもたちを養うことになる。
 そんなわけで、バクチのあとは、きまって夫婦の大たちまわりが始まった。

「もとゑ、お粥(かい)食(く)うか……、今朝(けさ)のは米、ようさん(・・・・)入っとるよって、ウマイぞ」
 松一は、妻の枕元(まくらもと)に、小鍋(こなべ)に小分(こわ)けした、茶粥(ちゃがゆ)を運んだ。今日の松一は、いつになくやさしい。
「おおきに……。あんた。さきに、いただいても、いいんかのぉ」
「おう、食(く)えよ。大仕事(おおしごと)の後じゃさか、ようさん食えよ。たらなんだら(・・・・・・)、また炊(た)くよってな」
 もとゑは、夫の用意してくれた、茶がゆをすすった。食べながら、なぜか涙がでてきた。満(み)ち足(た)りた思いでいっぱい。彼女には、夫のやさしさの意味が、わかっていた。
 ……おとうさんは、自分のしたことを悔(く)いている。
 そう思った。
 それは、ほんの一か月前のこと。約二か月前、泊(とまり)山(やま)から帰ってきた松一は、いつものことながら、かせいだ金を、あらかた、なくしていた。バクチで負けたのだ。
 出産を間近(まぢか)にして気が立っていたもとゑは、我慢(がまん)も限界(げんかい)とばかり大声をあげて、夫を責(せ)めたてた。
「この、かいしょなし!」
 負けバクチで、内心(ないしん)は、すまんと思って帰ってきた松一だったが、売り言葉に買い言葉で、
「なにおっ、お前こそ、オレのおらん間に、何しとるか、知れたもんじゃないわい。腹(はら)の子も、誰(だれ)のもんか、分かるか!」
 と、とんでもない方向に、ケンカの台詞(せりふ)を転じた。
「あんたが……、あんたが……」
 もとゑは、極度(きよくど)の興奮(こうふん)で、まともに声も出ない。手あたり次第(しだい)物を投げつけて、大あばれ。松一も、やり場のない怒りで、妻の大きなお腹を力一杯なぐりつけた。あげく、もとゑは一週間ほど床についた。
 それからというもの、さすがの松一も気が気でないとみえ、
「だいじょうぶかのぉ……」
 終日(しゆうじつ)、妻のからだを、気づかっていたが、昨夜(ゆんべ)、おたつ婆の尽力(じんりよく)で無事五体満足(ごたいまんぞく)な赤子(あかご)が生まれて、安堵(あんど)の気持が態度にでたのだった。

 おさむの生まれた、本宮町(ほんぐうちよう)は、和歌山県最南の小都会、新宮市(しんぐうし)から熊野川(くまのがわ)をさかのぼること三十七キロ。山また山に囲まれた、小さな村落であった。だが、古い歴史のある郷(さと)で、とくに、村内の高台にある、熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしや)は、日本全国の熊野神社の総本山(そうほんざん)として君臨(くんりん)し、同時に、熊野三山(くまのさんざん)のひとつとして、平安時代に起こった皇族(こうぞく)、貴族(きぞく)、それに、庶民(しよみん)らによる“蟻(あり)の熊野詣(くまのもうで)”で広く世に知られていた。また、となり村には、湯峰(ゆのみね)、川湯(かわゆ)といった、由緒(ゆいしよ)ある温泉場があって、四季をとおして、湯治客(とうじきやく)などで、にぎわっていた。

 山奥ではあるが名の知れた、訪れる人の多い、それでいて静かな雰囲気(ふんいき)をもつ小さな村。中岸(なかぎし)家は、そんな村の高台にひっそりと建っていた。
 古びた木造の粗末(そまつ)な家。杉皮葺(すぎかわぶき)の屋根には、大小さまざまな形の石が置かれている。屋根をおおっている杉皮が、台風などで、はがれおちるのを防ぐための重石(おもし)なのだ。屋根の真ん中に、けむりを抜くための、けむり通しがある。そこからは、朝に夕に、竈(かまど)からたちのぼる、むらさきのけむりがでて、それらが長い尾を引いて、裏山(うらやま)の木立(こだち)に吸い込まれるように流れては消える。それは、山深い里を代表するところの、のどかで、透(す)きとおるように静かな、まさに、平和そのものという情景(じようけい)であった。

 松一は、感謝の気持でいっぱいになりながら、本宮大社に礼参(れいまい)りした。彼にとっては、自分のこどもが、ひとりふえた以外は何も変わることのない平凡(へいぼん)な一年の始まりであった。
 すくなくとも、彼の身の上には何も起こりはしなかった。
 だが、このとき、都会では、というより、日本全体が破竹(はちく)の勢いで、南京(なんきん)、漢口(かんこう)、広東(かんとん)へと進軍。国民は、勝利にわきたっていた。
 古い静かな時代から、急激に大転換(だいてんかん)するとき。……歴史の歯車が、ガラガラ音をたてて回転をはじめていたのである。
        ●本編試読はここまでです。


中岸おさむ氏、プロフイィール

昭和十三年一月一日、中岸松一、もとゑの四男として和歌山県東牟婁郡(現、和歌山県田辺市)本宮町に生まれる。二十三年四月、本宮中学卒。その後、方々の土建会社を転ゝとする。この間に、彼独自の工法を編み出す。
昭和三十七年四月、『総合建設業 中岸組設立』
昭和六十三年五月、新宮地方建設業協同組合副理事長。
昭和六十三年十二月、本宮町議会議員。

開業後、子会社数社を設立し、その要(かなめ)となって近隣市町村の土木事業に貢献。
平成十二年四月、同町に温泉付『特別養護老人ホーム 熊野本宮園』設立。
同時に、本拠地を熊野本宮大社前に移転。近くに物産館やレストラン開業。平成十六年、この地域一帯が、熊野本宮大社を核とする『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコ世界遺産に登録されて以降、門前町振興の一翼(いちよく)を担っている。


書評抜粋
 この文章は、平成元年、紀南新聞紙上で一月から三月にかけ掲載されたもので、お寄せ頂いた方ゝの肩書等二十五年の歳月経過で変わっている場合があります。
 しかしながら、いただいた内容は、本図書にたいしてなんら変わるものではありませんので、当時の新聞紙上原文のまま転載させていただきました。
 書評をおよせくださいました方には、心からお礼申し上げます。


>「ど根性」を読んで  (新聞掲載順)<


熊野本宮大社 前、宮司 九鬼宗隆 様
 「何気なしに足元の土をつかんだ。ひと握りの土は、ほんのりと温かい。その温もりは手のひらから腕に、胸にしみこむ。おさむ少年は、生まれて初めて確かな手ごたえを感じた。よし、土で成功したる! このとき、しっかりと心に誓った」
 右の文は、「ど根性」中岸おさむ土方半生記……運命の扉……章の一節である。
 このとき、主人公おさむ少年は十三才。旧社地、大斎原(おおゆのはら)の近くの土木作業場で休憩時のことである。この瞬間、おさむ少年は、土をとおして神との出会いを体験した。そして、熊野大神は、素晴らしい啓示(けいじ)を与え給(たま)うたとわたしは確信する。まさしく運命の扉がここに開かれた。      
 土方仕事の経験は、この時が初めてではない。既(すで)に小学校六年の年少で真夜中から夜の明けるまで土方仕事をやりぬいて家計の手助けをしている。
 その後も、筆舌(ひつぜつ)に尽くしがたい艱難辛苦(かんなんしんく)を見事に克服(こくふく)して、その度毎(たびごと)に大きく運命を切り開いていった。
 人間は誰しも、他人にはうち明けられない秘密を持つ。主人公中岸さんは、それを敢然(かんぜん)と曝(さら)け出し、告白し、訴(うつた)えた。このことは、[心のみそぎ] をなし了(お)えたわけである。
 それにしても、何と、この実録小説は素晴らしいものか。只々、頭のさがる思いがする。


 紀南新聞社 前、編集長 山本紀一郎 様
 想像を絶するような苦労を淡々(たんたん)と乗り越えてきた中岸さんの鋼鐵(こうてつ)のような強い意志と精神力に感動をおぼえた。
 母に心配させたくない、悲しませたくないと、がむしゃらに頑張り抜く中岸少年の姿が今も瞼(まぶた)に焼き付いて離れようとしない。
 少年少女諸君がこの本に接するとき、今、自分たちが忘れかけている〝何か〟を思い出し、同時に、さらに大きな夢と希望を抱いてくれるであろうことを確信する。
                                            
和歌山県新宮文化協会会長 田本実 様
 児童図書「ど根性」発表記事を新聞で見て直ぐ買って知人にも送り紹介しています。
 極貧のどん底の生活から耐え忍び苦闘して立ち上がった根性は【金次郎、おしん】そっくりで、涙と力強さをもって読ませていただきました。
 万人必読の書。心から頭がさがりました。


同町三里 北条貴弘 様
 午後から仕事を休み、一気に読み終えました。夜はすでに一時過ぎになり、床のなかに入り眠らねばと焦(あせ)りはしたものの、深夜の河原に、言語(げんご)を絶する過酷(かこく)な労働に骨身(ほねみ)を削るひとりの小学六年生が脳裏(のうり)をかけ巡(めぐ)り、とうとう朝まで一睡(いつすい)もできなかった。
 あまりにも凄(すさ)まじい苦難の実話でした。
 激動の昭和に、しかも我が郷土に、明治、大正期に見る立志伝中の人物が実在したとは……。
 この本こそ、一般人はもとより青少年必読の書といわずして何といえよう。


医学博士 岩倉源駒 様
 地を這(は)うような、どん底の人生から立上がる凄絶(せいぜつ)さ。誠に目を見張るような人生だと思います。
 一気に読みおえた私は、目を閉じた儘(まま)、暫(しばら)く放心状態(ほうしんじようたい)でした。やがて、万感(ばんかん)交々去来(こもごもきよらい)するものがありました。
 今更(いまさら)のように、中岸さんの人間の深みを感じました。誰(だれ)にでも真似(まね)る事が出来るものではありませんが、せめて心の糧(かて)にしたいものだと思います。


福祉大学講師 高橋宇一郎 様
 児童図書「ど根性」を読みまして只々(ただただ)感動するばかりです。まだ幼い十一才のときより真夜中のじゃり持ち土方仕事にでて、両親を思い、家庭を思い、また、自分に打ち勝つ精神力、たくましさ、その精神の粘り強さには驚嘆(きようたん)するばかりです。
 とくに、百頁の、母親が我が子に詫(わ)びて見送るあの情景(じようけい)が涙させるものでした。
 大阪の釜ヶ崎(かまがさき)で立ちん坊(・・・・)で働き、ドヤ街の生活をしながらよく頑張りましたことは[ど根性精神]のひと言につきるものと思います。
 主人公の社会での生活された場面も、人間性の切磋琢磨(せつさたくま)が相まって築(きず)きあげられた人生観は、わたしの胸を深く打ちました。
 作者が、主人公の人柄(ひとがら)を克明(こくめい)に掘り起こしたこの著作は素晴らしく、その執筆(しつぴつ)に感銘(かんめい)いたしました。


市議会議員 稗田矢八 様 

 嵐の中に、小さな舟が波にもまれつつ幼い魂(たましい)を燃やし続ける主人公、中岸さんの人柄(ひとがら)に感動しました。
 現在の中学生や高校生に、また、ひとりでも多くの方々に、この本を読んでいただきたい。
 学ぶことのみを知って、真に生きる力を失いつゝある昨今(さつこん)、失意(しつい)のどん底にいる若者たちよ、この本の主人公中岸おさむさんのように、這(は)い上がれ、地の底から這(は)い上がれ。失敗(しつぱい)を敗北(はいぼく)であると思い込む若者。このことで、年間多くの命を自らの手で失う(自殺)。
 失敗をバネにして、雑草のように生き抜いてほしい。そんな訴えをしている本が少ないなかで、「ど根性」の本は、失敗は敗北ではなく、人生のバネであり、苦労は他人のためではなく、自分のものであると教えている。


教育委員会委員長 中尾謙二 様
 「ど根性」なる作品に接する機会を得て、非常に感激している。
 今、わたしは、この一冊の本を読み終えたが、自分自身呆然(ぼうぜん)としてしまって、何だか、自分の頭に占めていた既定(きてい)の概念(がいねん)というものがすっかり掃(は)き消されてしまったような気がしている。書評を書くその糸口すら直ぐに出てこない始末(しまつ)だ。
 わたし自身の生活体験は勿論(もちろん)のこと、わたしの頭のなかでも想像できない、主人公おさむ君の壮絶(そうぜつ)たる生き様のなかに、現在の人々がとっくの昔に忘れてしまった人生の真の価値(かち)について答えてくれる何かがあるような気がする。
 昨今、こどもたちを取り巻く環境は誠に憂慮(ゆうりよ)すべきものがあり、数多くの学生諸君が学校生活のなかで、自分の生きる意味を見失い、喘(あえ)ぎ苦しんでいる姿を多く目にしますが、どうしたら彼らに、それぞれの人生目標を掴(つか)ませ、自分の生き甲斐(がい)を見つけさせてやれるのか……。日夜、悩み続けている。
 近年、わが国は、急激な経済発展により、国民生活は豊かになってきたが、反面、学校の荒廃(こうはい)等憂慮(ゆうりよ)すべき問題が生じている。
 社会に於ける幾つもの退廃(たいはい)した現象、そのなかでの家庭崩壊(かていほうかい)。併(あわ)せて低学力という三重苦(さんじゆうく)を抱えた現在の悩めるこどもたち。そんな彼らが、自力ではどうすることもできない苦しみのどん底から激(はげ)しく訴(うつた)える姿……それが、教師に或(ある)いは学校に対して苦悩をぶつける行為……。こうしたことが、校内暴力の様々(さまざま)な姿となってあらわれているのではないか。                          
 この「ど根性」作品のなかで、主人公の置かれている生活実態は、現在のこどもたちと比較(ひかく)すれば、それは、とても想像できないほど凄(すさ)まじい状況である。然し、その渦中(かちゆう)に居ても決して自分自身を見失うことがなかった。自分の生きる目的をしっかり胸に抱いて、それを支えとして這いつくばって頑張ってきた。それには、彼自身、天性(てんせい)ともいうべき強じんな意思力を備えていたからだ。
 そんななかで、ただ一つ、彼にとって幸いしたことは、どん底生活でも最後まで家庭が崩壊(ほうかい)することがなかったことだ。なかでも、どっしりとした母親の愛の姿が存在していたからだと思う。だからこそ、主人公の心の裡(うち)には、親に対する孝心、貧しくとも必死で家庭を愛する心が生き続けてこられた。
 そして、周(まわ)りの皆が自分を蔑(さげす)み、嘲笑(ちようしよう)しているなかで、自分を認めてくれ、心のなかに一筋の光をさしこんでくれた人……それは、教師、区長、役場職員だった。これらの方々の一言によって、自らのツッパリの殻(から)を脱ぎ捨てやる気を奮起(ふんき)させた。ここのところを、この本の作者は、底辺に置き去りにされたこどもたちの心理をものの見事に描き出している。
 わたしは、この作品のなかに生き続ける主人公の生(い)き様(ざま)に、また、彼を取り巻く環境に今更ながら教育の原点を再発見、再認識させられた気がする。
 今日、わたしたちの周りを振り返ってみると、こどもたちに身体に汗して、そのなかで感動が得られるという直接体験を体感させられる機会が非常に少なくなっている。とりわけ、教育現場では五感を通して得られる喜怒哀楽(きどあいらく)感情を育てることが次第に困難になってきている。このことが、こどもたちに「根性の精神、強い意志力」を育てにくくしている原因ではないかと考える。
 たしかに、この本の主人公が育った時代背景は今とは別世界の感がある。しかし、この作品のなかに脈々と流れる主題(精神的な価値)は、時代を超え、いかなる社会に於いても相通(あいつう)じるものがあり、作品を読む人の心を揺り動かす。


紀南新聞「紀南山脈」欄より
 本宮町内の中学校に務(つと)める知り合いの先生から贈られた「ど根性、中岸おさむ土方半生記」を読ませてもらった。
 読むにつれて、こまやかな感情表現や、くっきりと人物を浮き彫らせた、練(ね)れた文章に引きずり込まれる一方、主人公のひたむきな生き方と、まわりの人たちのやさしさに何回となく胸がつまった。
 苦しみを糧(かて)として心豊(こころゆた)かに懸命(けんめい)に生きることの証(あかし)を残したいという主人公の熱い思いがにじむ自分史の赤裸々(せきらら)さにも心打たれた。
 読み終わって、わけ知り顔でいうことになりそうだが【逆境(ぎやつきよう)が人間をつくる】という劇的(げきてき)な実証(じつしよう)を感じ取ることができたというのが率直(そつちよく)な感想だ。
 逆境(ぎやつきよう)というと、およそ今の生活にはそぐわない言葉かもしれない。まして、肩に食い込む痛さや空腹の辛さ、歯をくいしばっての我慢(がまん)。そうした体験は正直(しようじき)いって現代っ子は一度も味わうことがなく、青年期に向かって走り出している。しかし、わたしたち大人は、こどもたちに何を託(たく)そうとするのか。どんな生き方を語りかけたらいいのか。
 物の豊かさが心の豊かさと結びつかない現代社会のひずみや、心の貧しさを嘆(なげ)く声は高い。熟(う)れきった繁栄社会の後に訪れる虚(むな)しさを感じ始めたからだろうか。
 そんななか、人間の美しさ、強さとは何か、……心のなかに、考える錘(おもり)をたらしてくれた本書である 
                
児童図書
ど根性、中岸おさむ、土方半生記(新改訂版)
平成二十七年二月、電子書籍
定価、1〇〇〇円
発行者、向井靖徳   http://web1.kcn.jp/y-pub
著 者、よしい ふみと
発行所、山の辺書房かしはら出版編集室、

〒六三四ー〇〇六五、奈良県橿原市畝傍41ー10
電 話、電紙、0744-41-6473    ISBN978-4-902941
校 正、貴村 のりこ
表紙デザイン及び挿絵、下川殖久
題 字、岩崎政文
Ⓒfumito yoshii 2015 Printed in Japan


山の辺書房かしはら出版編集室 沿革・プロフィール

1968.季刊誌発行や歴史調査・編纂。
1970.約五年間新聞記者。
1973.文芸庵設立しデザイン執筆開始。
1987.熊野文芸に名称変更、本格的に自費出版開業。
1988.日本自費出版ネットワーク正会員。文学賞選考委員務める。
1994.日本シナリオセンター卒。2005.ISBN取得、絵本全国発売。
主業務、素人原稿書き方指導。リライト、編集、出版。
主な著作…「ベストセラー自伝となった児童図書、ど根性」「足跡」「父の旅」他。編集部門ではベストセラー作品「大台ヶ原開山行者の生涯」他執筆指導など。伝記作家。

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